カナダ 国旗

カナダ 国旗
国名 カナダ
人口 38,781,291 (2023)
面積(Km²) 9,093,510
大陸 北米
絵文字 🇨🇦
  hex rgb
#D80621 216, 6, 33
#FFFFFF 255, 255, 255

カナダの国旗は1965年2月15日に採択され、白地に赤いメープルリーフを中央に、その左右に2本の赤いストライプを配したものである。これにちなんで1996年、同日を「国旗の日」と定め、以来毎年2月15日を「国旗の日」としている。

カナダ国旗の意味

  • 赤は英国の伝統、軍事的犠牲、英国との歴史の共有を象徴している。また、赤は秋に紅葉するカエデの葉にちなんでいる;
  • 白はカナダの冬の純粋さと静けさを反映し、平和と中立を象徴している。

カエデの葉は、カナダで最もよく知られたシンボルのひとつである。19世紀に登場し、瞬く間にカナダのアイデンティティの象徴となった。カエデの葉は、本、歌、コイン、横断幕など、大衆文化の中でさまざまな形で存在してきた。第一次世界大戦中にはカナダ遠征軍の帽章として使用され、国のシンボルとなった。多くのカナダ人は、メープルリーフを誇り、勇気、忠誠心の象徴と考えている。2つの世界大戦で戦死したカナダ軍人の墓碑にも、この紋章が刻まれている。それは常にカナダと結びついており、この国の長い歴史と重要性を体現している。

カナダ国旗の歴史

カナダでは国旗以前に、フランスなどヨーロッパ諸国の国旗や英領北アメリカの国旗など、さまざまな国旗が使用されてきた。1867年のカナダ連邦成立後、カナダは通称「ユニオンジャック」として知られる王室御用達のユニオンジャックを使用しました。カナダで使用されたもう1つの英国旗は、国のシンボルとなった「赤旗」である。この旗は、ユニオンジャックとカナダの盾を組み合わせたものだった。また、連邦に加盟した州(1892年~1922年)の紋章など、さまざまなバージョンの旗があった。第一次世界大戦中、カナダの赤旗は愛国的な紋章として人気を博した。1921年、カナダは王室の紋章を与えられ、後に赤旗に付けられた。このバージョンの赤旗は、第二次世界大戦中にカナダを代表するものだった。1957年、カエデの葉の色が緑から赤に変更された。このバージョンは1965年まで使用された。時が経つにつれ、カナダは独自のシンボルを作ろうと努力し始めた。

カナダ国旗の歴史

20世紀には、多くのカナダ人が自国を反映した新しい国旗を持つことを望んだ。しかし、新しい国旗を作るのは難しい仕事だった。1925年と1946年には、さまざまなコンセプトやデザインを検討する試みがなされたが、政情不安への懸念から延期された。妥協案として、カナダ政府はユニオンジャックを国旗として維持し、政府庁舎に赤い旗を加えることを決定した。多くのカナダ人はユニオンジャックと英国の伝統に愛着を持っていた。

1960年、レスター・B・ピアソンは、1967年の建国100周年記念式典までにカナダの国旗をデザインすることを約束した。彼は「ピアソンのペナント」として知られる、白地に3枚の赤いカエデの葉と2本の青いストライプの国旗を提案した。しかし、彼の提案は議会の抵抗にあった。国旗に関する勧告を行う委員会が設置された。委員会では、植民地時代のシンボルを残したい派と、新しい国家的シンボルを求める派に議論が分かれた。この時期は「大国旗論争」と呼ばれた。委員会で検討された選択肢のひとつは、王立陸軍士官学校芸術学部長のジョージ・スタンレーが提案した、白地に1枚の赤いカエデの葉、左右に2本の赤い縦縞というコンセプトだった。

カナダ国旗の歴史

カナダ人からの何千ものコンセプトを検討した結果、国旗委員会は3つの最終候補を選んだ: ピアソンのペナント」、中央にカエデの葉をあしらったコンセプト、ユニオンジャック、フランス王家の旗(青地に3輪の百合の花)、そしてジョージ・スタンレーのカエデの葉を1枚あしらったコンセプトである。結局、委員会はスタンレーのデザインを支持し、下院と上院もこれを支持した。その後、スタンリーのコンセプトが最終的に決定され、カナダ国旗の最終デザインが完成した。新しいメープル旗は1965年にエリザベス2世によって正式に承認され、その年の2月15日に厳かに掲揚された。カナダの自由、正義、寛容を象徴する重要な出来事だった。新しい国旗はカナダの象徴となり、その価値観と市民を表している。