キリバス国旗は、イギリスから独立した1979年7月12日に採用されたもので、上部の赤いストライプに黄色いフリゲート(鳥)と水平線から昇る黄色い太陽、下部は波打つ6本の白と青のストライプが交互に配置されている。
キリバス国旗は、イギリスから独立した1979年7月12日に採用されたもので、上部の赤いストライプに黄色いフリゲート(鳥)と水平線から昇る黄色い太陽、下部は波打つ6本の白と青のストライプが交互に配置されている。
国旗は2つの部分で構成されている:
キリバスは、太平洋の中央部に位置する32の環礁(サンゴ礁の島)と1つの隆起サンゴ礁の島からなる。ギルバート諸島、フェニックス諸島、ライン諸島の3つに大別される。ギルバート諸島は最も人口密度が高く、島々からなる: アバイアンガ島、アベママ島、アラノア島、アロリアイ島、バヌアバ島、ベルー島、ブタリタリ島、クライオ島、マヤナ島、マラケイ島、ニクナウ島、ノノティ島、オネトア島、タラワ島、タビテウエア島、タマカイ島、タプテウエア島である。国の首都である南タラワもこのグループの一部である。キリバスの政治・経済の中心地である。フェニックス諸島は、ビルニ、エンダベリー、カントン、マキナ、マンラ、ニクマロロ、オロナ、ラワキなどの離島や人口の少ない島々からなる。本土の島々には、唯一の隆起サンゴ礁の島であるバナバ島をはじめ、カロライナ島、フリント島、キリティマティ島、モルデン島、スターバック島、ヴォスカエジド島、テリナイ島、タブアエラン島、テリナマン島などがある。クリスマス島として知られるキリティマティは、面積では世界最大の環礁であり、漁業と観光にとって重要である。
上記の島々がひとつになり、キリバスという共通の名前で統合される以前は、それぞれ独自の過去と国旗を持ち、それが共通の形成の歴史を形成していた。アベママ王国もそのひとつで、ギルバート諸島の一部として中部太平洋に位置している。1889年まで使われていたアベママ王国の国旗は、青い布地に白い聖アンドリューの十字架と、旗の端にある4つの青い三角形のそれぞれに位置する3つの白い五芒星で構成されていた。Xに似た聖アンデレの十字架は、当時アベママ文化の不可欠な一部となっていたキリスト教信仰と島々とのつながりを象徴していた。1892年のイギリス併合前に、アベママ旗はもう1度変更された。新しい旗は、赤、黄、緑の3本の横縞で構成されていた。旗の中央には黒いサメが描かれている:
1892年、ギルバート諸島は正式にイギリスに併合され、アベママは独立を失った。イギリス政府は、しばしば島民の伝統的な習慣に反する新しい法律や規制を導入した。
当時の国旗は標準的なイギリス国旗であった。ユニオン・ジャックは、青い布地に聖ジョージ(イングランドの守護聖人)の赤い十字架を白い十字架に重ねたもので、その十字架は、聖アンドリュー(スコットランドの守護聖人)の斜めの白い十字架と聖パトリック(アイルランドの守護聖人)の斜めの赤い十字架と交差していた。
1937年、ギルバート諸島とエリス諸島の植民地としての地位が独立した行政単位に変更された。この植民地のために、左上にユニオンジャック、右に植民地の紋章を配した新しい旗が採用された。植民地の紋章は、フリゲート艦、太陽、海の波という現代のキリバス国旗に似ていたが、盾の上に置かれていた。日本軍は真珠湾攻撃の直後、1941年12月にギルバート諸島を占領した。日本軍の占領は、1943年11月のタラワ沖海戦でアメリカ軍が水陸両用で上陸し、島々が解放されるまで続いた。占領中、島々の領土では日本帝国の旗が使用され、白い布の中央に赤い太陽が描かれていた。
日本の占領から解放された後、島々はイギリスの植民地支配下の平和な生活に戻った。1976年、ギルバート諸島とエリス諸島に自治権が認められ、独立への第一歩を踏み出した。この新しい行政単位のために、イギリス植民地時代の旗、すなわち紋章が少し変更された。紋章は白い円の中に配置され、「TE MAORI TE RAOI AO TE TABOMOA」と刻まれた。この標語はキリバス国章の基礎となっており、「健康、平和、繁栄」と訳されている。
そして1979年、ギルバート諸島は完全な独立を果たし、キリバスの主権国家となった。独立後、新しい国旗が採用され、現在も使用されている。キリバス国旗は、3つの白い波が立つ青い海に昇る太陽の上に、金色のフリゲート鳥が飛ぶ赤色の上部で構成されている。フリゲート艦の鳥は自由と独立を象徴し、太陽は熱帯に位置するこの国を象徴し、青い海と白い波はこの国の島国としての性質と海とのつながりを反映している。